月別アーカイブ: 9月 2013

基本を学び直す。

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最近、診察の基本的テクニックの重要性を再認識しています。CT、MRIも大事ですが、それを絞りこむためには五感、六感をフルに動員する必要があります。そのために、いま医師になって20数年経ちますが、基本を再度勉強しています。アメリカの医学生や研修医が使用している「ベイツ診察法」、世界5大医学雑誌の一つJAMAの編集した「論理的診察の技術」を読み知識を整理または思いだし、心音聴診のCDを買って耳を鍛えています。このまま勉強していくと・・・・。自分が恐ろしい♪

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空白を満たしなさい

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ある人が、その人の通常の行動とは明らかに違う、または周りの想像出来ない事をした時に「人間の多面性」というものを考えます。しかし、その多面性の一つ一つは、全部その人そのものであるのではないか?、または相手によって、好感を持っている人となるべく接したくない人、友人と家族、職業を演じる自分と休日の自分など、演じる自分が違って、その集合体が個人である、という考え方を以前からなんとなく思っていました。今回読んだ平野啓一郎の本は、皆がなんとなく思っているそれを表現しています。本小説の内容は、(世界中で一部の死んだ人間が生き返る「復生者」の存在が話題になるなか、主人公の30台の男は自分の勤務先の会議室で目覚める。家に帰ると、妻と息子が驚いた顔で呟いた。「あなたは3年前に死んだのよ!私達を残して飛び降り自殺したのよ!」仕事も順調で、可愛い妻と息子、幸せの絶頂である自分が自殺するはずがない!誰かに殺されたのではないか?その後自分が死んだ理由を探し、「死因」とともに一度は永遠に失った自身の「生」を検証した結果、ある
事に気がつく。)
このようなストーリーです。結論から言うと、男はやはり自殺で、いわゆる「衝動的に」飛び降りたのですが、何故この衝動が起こったのか?がこの本のテーマになっています。このテーマを解く鍵となっているのが、著者が提唱している「分人」という考え方です。
[自身が関わる他者それぞれとの間に「分人」が形成され、その「分人」の集合として自身のアイデンティティーが形成される。]
という考え方で、いわゆる「魔が差す」衝動とは、主人公は自身にとって許せないネガティブな「分人」を、放置すると自分を乗っ取られてしまう恐怖から、他のポジティブな「分人」が消してしまいたい抗しきれない欲求が起こることによるのではないか?と推測しています。例えば、いじめで自殺する子供は、いじめつこに対する嫌な自身の「分人」を、他のポジティブで心地いい自身の「分人」の集合体が消しにかかるのではないか?または、その自身の一部に過ぎない「いじめられてる分人」を自身の全てと悲観して自殺の衝動を起こすのではないか?という考え方もできます。
衝動性のもう一つの考え方として、「一つ一つの分人の疲労は小さいが、分人の集合体として考える時、その疲労は耐え難い疲労になり得る。」というものです。例えると、お盆に孫が帰省するのを皆さん楽しみにしていますが、お盆が終わる時には、体調を壊す方が多いという事実です。このような幸福を維持する疲労でさえ積み重なると心身を壊す理由に十分なり得ます。この主人公も幸福を守るために寝る間を惜しんで仕事、家族サービスに努力しますが、この分人単位の疲労の蓄積が自殺の衝動性を起こしたのではないか?と考えます。
それでは、この2つの衝動性の扱いをどうしたらいいのか、その解決法はやはり「分人」の考え方にあるといいます。ネガティブな分人も自身だが、それ以外にも沢山のポジティブな分人がある事を意識すると人は乗り越えられるのではないか?また、今日はネガティブでも、明日はポジティブに変わる可能性もある、それまでは他の分人が支えてやればいいと思います。また、他人の分人単位の疲労を理解する事でいわゆるプレッシャーをかけないことが大事です。この考え方をもう少し掘り下げて書かれたのが講談社現代新書から出ています。「私とは何か、個人から分人へ」という本でこちらの方が解りやすく書いています。どちらもなかなか考えさせられる本でした。

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