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がんばれ仏教!~医療と宗教を考える~

先週の土曜日、15分のあわただしい昼休み中NHKのTVで「こころの時代」という番組が放送していました。そのなかで「カフェ・デ・モンク」という僧侶による移動式カフェの特集があっていました。これは、東北の震災で傷ついている方達のために、ボランティアの僧侶などの宗教者が移動式のカフェを開き、お茶をしながらいろいろな苦しみを吐き出してもらおうというものです。モンクというのは英語で僧侶を意味し、「文句」を聞き、「聞苦」ともに苦しみを分かち合うという意味も込められています。自分も震災1W後の東北に行ったときに感じたのですが、東北の方たちはがまん強くなかなか弱音を吐きません。本当は深く傷ついているはずなのにまず他人の事を心配したり、このくらいは我慢しようとする忍耐強さがあります。しかしそれは自身のためには必ずしもいいことではなく、次のステージに進むために心の区切をつけないといけません。そういう方たちのために、僧侶たちは「傾聴」して心の深いところの整理のお手伝いをしています。この「傾聴」というのが簡単なようで難しく、代表の金田住職は「傾聴というのは自身と他者の垣根をなくすところまで自分をもっていかなくてはならない。そのためには自身の価値観を決して押付けてはならない。」といわれていました。これはまるでカウンセリングではありませんか。現代において仏教は葬式仏教になってしまい、本来の役目である人間の「苦」に向き合い、原因を探求し、その解放に取り組む役目を忘れかけています。もちろん一部の志ある僧侶たちは本来の役目を果たそうと奮闘しています。(詳しくは上田紀行著「がんばれ仏教」に書いています。)この金田住職をはじめとする「カフェ・ド・モンク」も本来の宗教の役割である「」に寄り添い、私たち医療者が語りにくい「死んだあと」の事も語ることで心の整理を手伝っています。これは宗教でしかできないことです。自分が血液内科をしていた時、そのほとんどが抗がん剤が必要な癌の方で、その癌の末期の方の苦しい気持ちを理解しようと一生懸命その人を想像する努力をしましたが、たかだか30年程度の人生経験しかないものに人生の大先輩を理解することなどできるはずがありません。そこで日本人に一番なじみの深い仏教の死生観を勉強した経験があります。本来医療と宗教はもっと近い存在であるべきなのかもしれません。医療は最終的に死を意識するのに対して、宗教は最初に死を意識することから始まります。問題になるのは、どちらも我々が経験したことのない「死」です。それでは果たして協力関係は築けるのでしょうか?宗教が医療現場に入ることは、新興宗教の布教ととられたり、気持ち悪がられたりすることが多く、今まではなかなかうまくいきませんでした。しかし、最近はホスピス、緩和ケアの現場で少しずつ実現しています。問題は本来仏教の素因を内包しているはずの日本人の潜在意識に、最近の一部の新興宗教、例えばオウム真理教事件などで高まっている不信感をいかに取り除くかにあると思います。そういった意味でこの「カフェ・ド・モンク」活動は素晴らしいニュースでした。まだまだ日本の仏教、仏教者もすてたもんじゃない。がんばれ仏教!

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